詩のみずうみ 

割り切れない気持ちを割り切らないまま表現します              ※無断転載、印刷配布おことわり © 環つやこ 2014

お世話になりました

みなさま、ご無沙汰しております。

ひさかたぶりの投稿になります。

今年から、詩を投稿していこうと決めましたので、

こちらのブログは閉鎖することにしました。

こちらに詩を載せると、発表作品とみなされてしまい、

投稿ができなくなってしまうからです。

 

もともと多作ではなく、ものすごくのろまなので、

作品数も少なく、

少しずつ書いていますので、

こちらを一度閉じて、

小さな詩の募集などに投稿することで、

再スタートをしようと思います。

 

たくさん、コメントを頂いた方々の

やさしさに、こころから感謝いたします。

ありがとうございました。

 

みなさん、お元気でお過ごしくださいね。

かかわらなければ・・・塔和子「胸の泉に」

 

 

 

 

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 先日、子どもが通う進学塾から一本の電話がかかってきました。

校舎長の先生からで、子どものふざけていたことが原因で友達が転んでしまい、ご両親

がご立腹だというものでした。私たち夫婦で塾に出向き、相手のご両親と対面してお詫

びするという運びになったのですが、まったく「和解」が見いだせない面会となって

しまいました。私たちの家族の事実にはないことを、私たちの子どもが自慢して

相手のお子さんを傷付けたとか、事実誤認のまま、感情的な言葉の刃を私たちにふりか

ざしてこられたのです。

 

相手のお子さんにはけがもなく、医師の診察を受けられて診断書にも何も異常ないと書

かれていましたが、診断書代を請求され、私たち親と子どもの人格を否定するような言

葉の数々を、初対面にもかかわらず、事実確認もないままに浴びせられ続け、私はじっ

と膝の上のてのひらをぎゅっと握って、我慢していました。

私たちが平身低頭に謝罪しようにも、話し合いは解決には向かいませんでした。

 

私はこの電話を受けたときに嫌な予感がし、敏腕弁護士を夫にもつ友人にいったん相談

してから面談に向かいました。もちろん面談の時は、ボイスレコーダーでやり取りをす

べて記録しました。法的な手段に出ることも考えましたが、お互いの子どもに与えるダ

メージや費やす労力を考えると、時間がもったいないという結論に至り、こちらが塾を

辞めることにしたのです。ご同席頂いた校舎長先生も「このようなケースは初めてで

す」とのことでした。私は心身ともに疲れ果ててしまいました。この方たちは、世に言

モンスターペアレンツだったのでしょうか。

 

子どもに降りかかる災難を、すべて親が取り除いていけるのでしょうか。

また、そうしたことが子どもにとって本当にプラスになるのでしょうか。

息子は「あいつは仲間だ。僕が辞めたら、あいつがみんなからまたなにか言われる」

と最後まで相手のお子さんのことを気にかけていました。謝ろうとして、ずっと塾を

さがして走り回っていたということも聞きました。こんなにしてまで、私たちを痛めつ

ける必要があったのでしょうか。私には、割り切れない思いがまた降り積もってきまし

た。

 

年末の大勢の人が行きかうターミナル駅の改札口で、ある友人が

「人生万事塞翁が馬って言うじゃない?また、次の塾にいったら成績が上がるかもしれ

ないし、いい友達ができるかもしれないしね。」

この言葉を聞いた瞬間、ふっと心の重荷が軽くなるのを感じました。ことわざって、丸

暗記するためにあるんじゃないんですね。こうやって凝り固まった思考の方向を不意に

変えてしまう、心を軽くしてしまう魔法があるのだなと思いました。持つべきものは友

ですね。

私は今回も友達に救われたのでした。

 

 

そんな時に出会った詩があります。

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ハンセン氏病を患い、国立療養所大島青松園で生涯を閉じた詩人、塔和子さんの詩で

す。塔和子さんは、療養所という極度に隔離された辛い環境で、もっとたくさんの人

と、この世の中と関わりたかったのではないでしょうか。その胸の痛みから編まれた言

葉は、私の胸にも届き、つよく強く揺さぶられました。

 

「かかわったが故に起こる幸や不幸を積み重ねて大きくなり 繰り返すことで磨かれ」

だからどんなに辛くても理不尽なことが起きても、私たちは生かされているのかもしれ

ないですね。

 

私たちはこの世を見るために、聞くために、生れてきた。だとすれば、なにかになれなくても、私たちには生きる意味があるのよ

                元ハンセン病患者役のせりふ

 ある時、ある場所から見つめているものがいるということが、世界を支えている。だれも見なかった、だれも聴かなかったら、世界が語るということもなかったのだから。命ある者の体験と語り、その一つ一つが世界の存在についての証言である。ドリアン助川原作・河瀨直美監督の映画「あん」から。

2015年11月17日朝日新聞朝刊 鷲田清一 折々のことば 229 より引用

年末を締めくくる文章として、ふさわしいのかどうか迷いました。不快な思いをされる

方もいらしたかもしれません。もしそのような思いをさせていたら、申し訳ないです。

私が見た、聴いた現実を、私の視点から、よりよき人の世になりますようにと祈りを込

めてこのブログを書き続けていきたいと思います。そして、「割り切れない思いを割

り切らないままに表現する」というこのブログの副題のように、私の心に降り積もる

もやもやを詩にしていくことを続けていこうと思います。応援してくださる

方々、本当にいつもありがとうございました。

みなさま、良いお年をお迎えくださいね。

 

ハラール認証のレストラン

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今日は、詩のお話ではなく、食のお話です。

 

先日、インドネシア人の友人と浅草に行ってきました。

インドネシアの大学で教鞭をとる彼女が学会で日本に滞在しており、連絡を

取ってくれたので、私はさっそくハラール対応のレストランを探しました。

 

ハラールとは、イスラム教徒(ムスリム)は、イスラム法により「許可されたもの」と

いう意味で、特に口にするものには厳格な決まりがあります。豚肉、アルコールは禁止

されており、鶏肉、牛肉は決められた方法で飼育し、お祈りを捧げてから屠畜されたも

のだけを口にすることができます。

 

料理酒はもちろん禁止ですし、うっかりしがちですが、醤油、酢といった醸造された調

味料も微量のアルコールが含まれるので、ハラールの方には適していません。現在は

日本企業の取り組みによりハラール認証の醤油、酢、みりんが手に入ります。

 

友人が研究員として大学で学ぶため日本に留学していましたが、お子さんが小学校で給

食でどのメニューなら口にすることができるのかわからず、非常に困っていました。

また英語なら流暢に話せましたが、学校の先生は日本語でのコミュニケーションしかな

さらなかったため、当時クラス役員だった私が学校からのお便りや給食の献立を英訳し

ていました。公立学校ではアレルギーに対しては敏感に対応されており、カレーなども

原材料が明確にわからないため、基本的な調味料を使ったルーは手づくりです。

しかし、ハラール対応はいまだになされていません。

 

今までは日本人の子どもが通うことが当たり前だった公立学校ですが、これからは外国

人の子どもを受け入れることが、少しずつ増えていくでしょう。教職員の方も、最低限

英語でのコミュニケーションはしていただきたいですし、様々な食習慣の理解の努力も

惜しまないでほしいなと思いました。

 

東京でハラルのレストランを探す際に使ったサイトはこちら↓

www.halalgourmet.jp

 

今回、友人と行ったのは浅草六区バス停からすぐの「すし賢」

www.asakusa-sushiken.com

 

こちらのお店ではハラル酢とハラル醤油を使っているので、安心して食事をすることができました。またカウンターで食事をいただいたので、ガラスケースに入った刺身の柵や貝、いけすの魚など、目にするものすべて新鮮だったようで、夢中になって写真を撮っていました。

 

ただ、彼女が少し不安に思ったのは、レストランにハラル認証のマークがなかったこと

です。二階には礼拝スペースなどもあり、配慮があるお店だったのは確かですが、ムス

リムの旅行者が偶然このお店の前を通っても、ハラル認証のマークがなければわからな

いと話していました。

 

ハラル認証団体はいくつか乱立しているようで、このような記事を見つけました。

toyokeizai.net

 

以前、私の体がお肉を受け付けなくて困っていた時、なかなか周囲の人は理解してくれ

ませんでした。仕方なく、みんなと同じ食事をするのですが、お肉を全部残して恥ず

かしい思いをしました。

 

また、浅草で息子がメンチカツを食べたいといったので、ある人気店に並

んでいると、外国人の方が「材料はなんですか?」と店員さんに尋ねていました。

「ポーク」と店員さんは、日本語の発音で接客されていましたが、Rの音が発音されて

いなかったために、通じていませんでした。「ポークとオニオンです」と私が伝える

と、「わかりました。私はベジタリアンなので・・・ありがとう」と、立ち去られま

した。観光スポットにおいては、ベジタリアンやハラルの方に対して分かりやすい表

示、ステッカーのような統一したロゴの掲示を求めたいです。

 

日本では、さまざまな食習慣、価値観、宗教観に対する理解が深まっていないというこ

とを様々な場面で実感し、残念に感じています。オリンピックまでには、整備を進めて

ほしいと思います。

 

食は、信念を表すものです。「ただの好き嫌いだ」「わがまま」「郷に入っては郷に従

え」という昔ながらの考え方の癖も、様々な価値観に即して柔軟にならなくてはいけな

い時代なのではないでしょうか。ただ、自宅に友人を呼んで食事をご馳走してあげると

ころまではできていないので、また私の世界が広がるたびに、教えてもらったり、知る

努力をしていきたいです。